お寺が世代間を超えたコミュニティへ。浄泉寺渡邊さんの歩み



良いものって伝えたくなるじゃないですか。だから、仏教の考え方を広めたい。

 
福岡県北九州市小倉南区平尾台の麓の大自然に囲まれたお寺「日蓮宗・浄泉寺」の副住職渡邊晃司さん。
 
毎月手書きにて発行している「浄泉寺瓦版」や「お坊さんからの手紙」、お寺にヨガインストラクターを招いたヨガ教室、写経会、街中のカフェで「お坊さんとティータイム」を開催するなど、仏教の教えをもっと身近に感じてもらいたいという想いで様々な活動をされています。
 
生まれた時からお寺で育った渡邊さんが、仏の道を歩むと決意したのは18歳。はじめはお坊さんではなく、建築士を目指していました。必死に勉強し大学受験をしたが、結果は不合格。自身の進路に悩む渡邊さんを導いたのは、住職である父親でした。
 
「本当に建築士になりたいならもう一度頑張ってみなさい。お寺に生まれたからという理由でお坊さんになってはいけないよ。お坊さんは職業でなく、生き方だから。お坊さんとして生きたいと思った時にお坊さんになりなさい」。その一言が心に強く響き、東京の仏教を専攻している大学への進学を決意しました
 
大学では仏教や日蓮宗の基礎的な教えを学び、大学4年時に規定の修行を修め日蓮宗僧侶としての資格を取得した。卒業後は4年間東京のお寺に勤め、実際に人々と関わる中でお坊さんとしての振る舞いを学びました。

 

大学では学問的なことを学ぶのが中心となり、実践的な経験を積むことはほとんどありませんでした。お経を読むなどの一般的にイメージされているお坊さんの生活が始まったのは、私の場合はお坊さんになってからでした。お寺に勤めれば、読んだことのないお経やお葬儀や法事のことなど、お坊さんとしての技術的なことが学べると思っていたのですが、お寺に入ってみたら、やることは掃除が中心なんですよね。掃除だけではないのですが、受け付けやお茶汲みなどのいわゆる雑用ばかり。

 

はじめは「こんなことしにきたんじゃないのにな」と思いながら過ごしていました。でも、ある時気付いたんです。これが最も肝要な修行であると。仏さまやお寺へのお給仕を通して、「感謝の心」が育まれたと実感しています。私は初めから知識や技術ばかりを求めていたのですが、それではいけなかった。技術うんぬんの話ではなかったんですね。いくら綺麗な形を習得しても、心が込もっていないと全てが薄っぺらいものになってしまいます。振る舞いの中にその人の真心を感じた時、人は感動するのだと思うのです。そのことを最初に学ばせていただきました。

 

 

浄泉寺の庭

浄泉寺の景色。

 

痛みと寒さと空腹を耐える厳しい荒行へ

 
渡邊さんが勤めていたこのお寺では、午前6時30分になるとお寺の戸や窓を開放し、7時から朝のお勤めが始まります。境内の掃除をし、8時30分から朝ご飯を食べ、その後1日の業務が始まります。
 
当初はお寺に勤める期間は3年の約束でしたが、「もう1年居て欲しい」との声をいただき、このお寺で4年を過ごすことになります。その4年目の年に渡邊さんは、日蓮宗が毎年開催している寒壱百日の荒行に行きました。
 
荒行は、真冬の期間、全国から千葉県中山市にある大本山法華経寺に百数十名のお坊さんが集まり、朝3時から夜11時の間、3時間おきに水をかぶり、ひたすら読経をし、食事は朝晩のおかゆのみという過酷な修行です。痛みと寒さと空腹を耐える厳しい修行の中で、渡邊さんは自身の生き方を変える大切な気付きを得たと言います。

 

荒行の中では、自分の醜さや欲深さに気付き、見たくない人間の本性もたくさん目の当たりにして来ました。肉体的にも精神的にも追い込まれ本当につらかったですね。でも、自分の中では、その荒行を終えたからこそ、お坊さんとしての大きな一歩を踏み出せた気がしています。それは、この修行を通して、私の命は数多くの支えによって生かされていることを実感したからです。

 

お腹も減り、足は痛いし、寒いし、眠たいし、「なぜ自分は苦しみに耐えながら、こんなことをしてるんだろう」と訳が分からなくなり、「もうダメだ」と弱音を吐き、全てを投げ出してしまいたくなることもありました。そんな時に心を支えてくれたのは、そこにはいないけれども「がんばってきてね」と自分を送り出してくれた人たちの温かな想いでした。その場にはいないのに頭の中に声が聞こえてくるんです。「こんなところで、怠けたり、くじけたりしては、ここを出た後に合わせる顔がない」。心が折れそうになると必ず家族の姿が思い浮かび、折れそうな心をガチッと支えてくれるんです。家族だけではなく、友人やお世話になった方、一緒に修行をしている仲間も含め、多くの人に支えられ私はこの修行ができていると、自身が究極に追い込まれた時に気付かされたのです。

 

「自分ひとりの力でこの荒行ができている訳ではない。多くの支えによって今ここにいることができている。苦しいこの修行は、させていただいている修行なんだ。なんとありがたいことだ」。苦しみの中で感謝と喜びに出逢った瞬間でした。不思議なんですけど、この時は泣きたいわけではないのに自然と涙が流れていたんです。

 

また、考えはどんどん巡っていき、「今までの自分はずっと支えられて生きてきたんだな。生きているということは、数限りない多くの恩を受けているということ。なんてありがたい事だったんだろう。そして、そうであるならば、自分も支える側としてお役に立てる生き方をしてゆきたい」こんな風な想いを抱くようになったんです。ここには損得勘定は一切ありません。そうしていくことが、自分の喜びだからです。私にとってこの荒行は、自身が受けている恩を知る「知恩」の修行でした。そして、これからの人生が恩に報いていくための「報恩」の修行である。そう心に刻み、仏さまに誓っています。

 

真冬の荒行真冬の100日間の荒行での修行様子。

 

敷居を下げようとするのではなく、あると感じている敷居を越えるための踏み台をたくさん用意する

 
東京のお寺で4年間のお勤めを終えた後、渡邊さんは実家である福岡の「浄泉寺」に戻ってきました。しかし、大きな想いを抱いて帰ってきたものの、なかなか行動できない悶々とした日々を過ごします。そんな日々の中で、浄泉寺を建立した祖母の死を含め自身の人生を考える大きな出来事が3回起きたと言います。

 

福岡に帰ってきてからは引きこもってました。恩に報いていくと言いながらも、頭でっかちなってしまっていてやる事がちゃんと決まらないと動けなかったんです。悶々と日々を過ごす中で、自己啓発の本などいろんな本を読んでましたね。 (笑)

 

言葉は違えど良書と呼ばれるものには、ほとんど一緒のことが書いてあって、結局は自分が動かなきゃ何も変わらないと。自身のターニングポイントと呼べるような大きな出来事の3度目の時に、これは仏さまの最後の忠告だと思い、ここで腹を決めて動かないとダメだと。それからは、頭で全てを考えてからではなく、まずは動いてみようと実際に行動するようになりました。「自分はもっと人々の日常的に関わっていく身近なお坊さんでありたい」という想いを抱いて。

 

仏教には、心の在り方や振る舞い、その整え方が多く説かれています。心穏やかに、安心を得て生きていくための智慧が詰まっています。そのことをたくさんの方にお伝えし、一緒に「ほんとうの幸福」を共感共有し、そこに向かって共に歩んでいきたいと願っています。しかしながら、今のお寺との関わりは葬儀や法事等が中心で、仏教は自分とは関係なく、また敷居が高いと感じている方が多くいらっしゃいます。

 

ですので、まずはその敷居を何とかしたいと考えました。その時に頭に浮かんだのが「敷居を下げよう、無くそうとするのではなく、あると感じている敷居を越えるための踏み台をたくさん用意しよう」という発想です。お寺でヨガをしているのもヨガを踏み台にして、お寺に足を運び、その中で仏さまの教えに触れてもらえたらと思ったのです。

 

 

看板「浄泉寺」までの道のりにある手作りの看板。山の麓にあるため、道があっているか不安になるが、この看板があることに穏やかな気持ちになる。

 

お寺が変わっていけば日本が変わると信じている

 
自分自身との出逢いも踏み台として活かしていけたらという想いから、お寺から飛び出し、街中のレンタルスペースで「お坊さんとティータイム」という名で様々な世代の方々とお茶を飲みながらの交流会を開くようにもなりました。
 
その反響は大きく、今では月に一度はカフェで「お坊さんとティータイム」を定期的に行うようになっています。渡邊さんの取り組みは、その活動の珍しさから、テレビや新聞などのメディアにも取り上げられています。さまざまな取り組みを行う渡邊さんですが、伝えたい想いやその目的は当初から変わっていないと言います。

 

良いものって伝えたくなるじゃないですか。だから、仏教を広めたい。言葉を得れば、考え方が深まっていく。その人自身を豊かにしていくと思うんです。物事を自分の都合でしか捉えきれなかったものが、より大きな視点で見ることができたり、違う受け止め方ができるようになったり。そうすると自分が苦しいと思っていたことにも、その中に喜びを見出せたり、感謝することができたりすると私は実感しているんです。

 

そして、いろんな関わりの中で、お寺は活性化していくと思うんですよ。浄泉寺だけが栄えるのではなく、全国のお寺が栄えていくことが私の願いであり目指す所です。お寺が世代間を超えたコミュニティになれれば、そこに集まった人で情報や考えを共有できる機会になる。お寺はそういう機能をもてるし、そうなっていかないといけないと思っています。お寺はコンビニの数よりあります。人々が気軽に訪れることのできる空間として開放され、学びや心を休める場として認識され活用されれば、もっと人々の中に豊かさが生まれると思うんです。

 

これを土地を買って、建物をたてて・・・とゼロから始めると膨大なお金と時間がかかります。でも、お寺は沢山ありますので、すでに場所はあるんです。あとは機能を備えていけばよい。口で言う程単純ではないということは重々分かっています。でも、お坊さんがそういう意識をもって考え行動していき、お寺が変わっていけば日本が変わると私は信じているんです。周りからの声でお寺が変わってもいいし、お寺から発信していってもいい。まずは浄泉寺がロールモデルになっていけたらなと思っています。

 

JR小倉駅からも離れた山奥に位置する「浄泉寺」。車で細い山道を登り、車内から降りると空気が澄んでいることに感動しました。周辺に川も流れており、「夏は涼しくて過ごしやすいんですよ」と笑顔で案内してくれる渡邊さん。
 
取材中に自分の失敗談も笑顔で話すその人柄が、周囲の人を惹きつけているのだろう。晴れた日には、木漏れ日と鳥のさえずりが心地よく、お寺を世代間を超えた憩いの場所としてなるには、浄泉寺のような志がある人がいる場所から広がっていくのだろうとお話を聞いて思いました。

(聞き手, 文/ 小野 義明  写真 / 小田 雄大)
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渡邊 晃司
浄泉寺僧侶

大学卒業後4年間、東京のお寺でお給仕をし、2012年4月に小倉へと戻ってくる。
現在は、小倉南区平尾台の麓にある浄泉寺を活動拠点とし、「社会に喜んでもらえるお寺づくり」その在り方を求めて、お寺でのイベントやカフェや施設等でお話の会を開催するなど、積極的に社会と関わっていく取り組みを実践中。
Facebook「寺子屋浄泉寺」での情報発信にも力を注いでいる。
FACEBOOK
ono yoshiaki
ono yoshiaki
Writer

web designer / engineer 大学在学中より、”体験した物語を伝える観光ガイドを作りたく起業し、TRIP OFFを運営しています。 今年の夏よりドローンによる空撮に挑戦。 http://tahito.jp http://onoyoshiaki.com

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